楽観的な人ほど最悪の状況を考える

悲観主義は気分によるものであり楽観主義は意思によるものだ」
というのはアランの幸福論の言葉。

これは人間は元来全てが悲観的でネガティブシンキングな生物で、自己の意思や行動でそれを変えているという考え方だ。

よって基本的に楽観主義な人は常に最悪の状況も考えている人が多い。
最悪な状況を想定しその時の対処方法も検討できているからこそ、楽観的になれるものだ

つまり悲観主義から楽観主義になりたいのであれば、状況から逃げてはいけなない。
そして考え方をポジティブにするだけではだめ。
裏付けのないポジティブは自暴自棄だ。

まずは、あらゆる状況を想定し、それに関する対処方法を検討すること。
この作業を行うことによってはじめて”楽観的”になれるのだ。

あれもない から これもある に!

普段色々とストレスを抱えている人。特に他人や周りに対してストレスを抱えているなら考え方の根本を減点方式ではなく加点方式にしていくとストレスはぐんと抑えられるかもしれない。

まず理解すべき前提は
人間はだれひとり同じ人はいない。
考え方を完全に一致させるのは無理

ということだ。

だから「意見が合わない」「考え方が違う」「納得できない」「理解できない」状況に何度かおちいることになるのは至極当然のことだ。

では、そういったときにどう対処するのか。
そこが重要になってくる。


その場合に減点方式ではなく加点方式で考えることだ。


人に何かを頼んだ時 10割のうち9割できていたとしよう。
あれもやってくれたこれもやってくれた と思うようにすればいいのだ。

あれもやってない、これもやっていない。と思うのは「あなたの10割」に当てはめようとしたからだ。
もしかしたらあなたの頭にはない残りの2割、いや3割をやってくれているのかしれない。
あなたが違うと思うように相手も違うと思っているかもしれないのだ。


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(最初に)過去と他人は変えられない。
(最初に)自分と未来は変えられる。
その結果未来が変わることで振り返る過去も変わる。
自分の行動が代わることでまわりにいる人も変えられる。


一度実践してみよう

YESマンになろう

部下は上司に何かいわれると、部長のおっしゃるとおりです、わかりました。とYESで返す。
そして何も考えず言われた通りやる。

これを、いわゆるYESマンという。


この肯定するという対応は物事を円滑にすすめる。
という意味では一つ有効な手段だ。

そう考えれば採用してみるのも悪くない。


会話はまずYESでかえすように心がけてみる。

たとえば
議論の中で否定したい事があったとしても

それは違う。
といった否定から入らないようにするのだ。
まず、肯定的な返事をする。

何もテクニック論だけではない。
本当に[そういう考え方もなくはないよね]と思って肯定的に返答するのだ。(そうしないと、適当なのがすぐ相手に伝わるだろう)

そして、次に 

「確かにそういう場合もある。ところでもう一つの考えとしては、、、」 

といった形で反論していくのだ。


いきなり否定されるよりよっぽど相手はこちらの意見を受け入れてもらえるはずだ。ちょっとした工夫で物事は円滑にすすむようになる。

仕組みをつくる

仕組みをつくるというのは非常に重要だ。

ビジネスでも、ビジネスモデルというもうける仕組みを作る。
このビジネスモデルが秀逸であればあるほどビジネスもうまく行きやすい。

何事にも「仕組みをつくる」を意識してみるとよい。

事後対応するのではなく事前に「仕組みをつくる」のだ。


たとえばAという結果を希望するなら、極力Bの結果にならないように仕組みを作っておくのだ。

何か問題があったときも、問題解決をするだけでなく、以後その問題が発生しないように仕組みをつくる。


この仕組みをつくった人というのは以外に目立たない事が多い。

「危機から救った人は英雄になれるが、危機を未然に防いだ人は英雄になれない」

ということだ。



例えば、他の人なにかミスを指摘したとする。そのミスが大問題となるレベルになったときにそのミスを指摘し解決した人は、周りから歓迎されるかもしれない。一方で、事前にミスに気づき、大事になる前にミスをひっそり指摘した人は感謝されど英雄になれないかもしれない。さらにそのミス自体が発生しないように仕組みを作った人は、何も起こらなかった事が当たり前とおもわれ、評価されないかもしれない。

でもいいではないか。
人からどう思われようと、目に見えないところで他人の手伝いをする形になろうと、自分がやろうとしていることが実現できるのなら絶対にそうすべきなのだ。

そのひとつひとつが割にあわないとしても、その点と点がつながって一つの線となったときに大きなメリットを享受することになるだろう。

話はそれるかもしれないが
感情もそうなのだ。怒りっぽいという人が、物事が起こった時に「怒らない」ようにするのはなかなか難しい。

それよりも「怒らない仕組み」を事前につくっておくのだ。
人間の感情は制御が難しい。だから感情をコントロールするのではなく、「仕組み」をつくって結果をコントロールするほうがずっと効率的だ。
万が一怒るような事象が発生したときには次回移行の仕組みづくりに頭を捻ってみよう。人間は結論が見えないと不安になり、結論がみえると落ち着く。仕組みがみえてくれれば少し感情も落ち着くはずだ。


「仕組み」をつくる人はすぐには英雄になれないかもしれない。
しかし自分が目指すものがはっきりしているならそれは間違いなく正しい道なのだ。
できるかぎりの「仕組み」をつくっておいて、何事もなかったかのように物事をすすめていこう。

アランの幸福論

今週のプレジデントにアランという方が書いた『幸福論』に関する記述がありその内容がよかったのでその中から4つのフレーズをご紹介する。


4つの文章はどれも同じ意味だ。


「不機嫌という奴は自分に自分の不機嫌を伝えるのだ」
           幸福論 微笑みたまえ 断章12

不機嫌であることは自分をさらに不機嫌する。いわば負の連鎖に入る。
たしかに不機嫌というのは形がないもので、不機嫌となる理由の事象が終わったのにもかかわらず、下手するとずっと、しつこく気持ちの奥底に居座ったりする。「なんかむしゃくしゃする」といったのはその類だろう。
しかしれはもっとも不幸な展開のひとつである。


それもそのはず。不機嫌とはもともと形のないもので、永久にいそうに思っても、実際はそれほどでももないのだ。人間は形がないもの、将来を予見できないものにはバイアスがかかり大きく評価しようとする。


そんなときは思いっきり嘘でもいいから気分を上機嫌に切り替えてみるのだ。
すると不思議なものでさっきまでの不機嫌がどこかへふき飛んでしまうものだ。



悲観主義は気分によるものであり楽観主義は意思によるものだ」




よく自分は悲観的だとか、楽観的だというやり取りがあるが、まず悲観的だという人は、気のままの感情でいるからだということになる。

人間は元来悲観的であるという。嫌なことや辛いことは日常的に起こる。そのたびに悲強い気持ちや辛い気持ちになるのは仕方がない。人間の本来の感情だからだ。もし悲しい気持ちにもつらい気持ちにもなったことがないというならそれは嘘だ。

しかしその感情をそのままにしておく人が悲観的な人である。楽観的な人というのはそういうときに、「まぁ仕方ない」「見方を変えればこれも不幸中の幸い」「さぁ次」などと自分の意思で前向きに切り替えるのである。

前述の「不機嫌という奴は自分に自分の不機嫌を伝えるのだ」とつながるが、どかで「自分の意志で」悲観の連鎖を断ち切る必要があるのだ。

つまり、楽観的なタイプ、悲観的なタイプという2つにわかれるのではなく元来全員が悲観的であり、楽観的に切り替える努力をしている人としていない人という2つがあるにすぎないのである。
悲観的になったときはぜひ、「自分の意志で」気分を切り替える行為をしてみよう。



「しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うから、しあわせなのだ」
    「友情」断章77



有名な一節だから元々自分も知っていたがどうもしっくりこなかった。笑えばしあわせ? やはり、しあわせだからやはり笑うんだろう。

例えば、長財布の人はお金持ちという一節があったとする。統計的には、事実だとしてもだからといって長財布を買えば金持ちになるものではないのと同じだ。ブランドものには長財布が多い。スーツには長財布が合う。お金持ちはブランドを買う。お金持ちはスーツを着る人が多い。結果お金持ちは長財布を買っている人が多い。と繋がる。そんな感じだ。

そんなことからしっくりこなかったのだが、アランの考え方を学べばその意味もわかってきた。


自分から積極的に行動することが大切。

ということだろう。しあわせに成りたかったら自分から行動するしかない。待っている人、文句ばかり言っている人にはしあわせは来ない。
しあわせは歩いてこない。だから歩いていくんだよ。
という島倉千代子の歌のフレーズのとおりだ。

笑うという行動も自発的で前向きな行動だ。そんな笑うというような自発的で前向きな行動を取る姿勢がない人に幸せはこない。
もちろん笑うだけでは幸せはこない。笑うには笑うなりの動機づけが必要で、その動機付けを行う行為が結果として笑う事につながりそれが幸せにつながる。だから笑えばしあわせがくるという一切になる。


「幸福になることは、また、他人に対する義務なのだ」
   「幸福にならなければならない」断章92


最初のフレーズに戻るが不機嫌でいるとさらに不機嫌になるというのは自分だけの話ではない。自分が不機嫌であるということはその周りをも嫌な気持ち(不機嫌)にする。不機嫌は人に迷惑をかけているのだ。不機嫌とは自分勝手な行為なのだ。

逆にいうと、
不機嫌でいないことは幸せになるために重要な一歩なのだ。
だからまず自分が幸せにならないと他人も幸せにならない。だからそれは避けるべきことではなくむしろ使命であり義務なのだ。ということだ。


ここから考えるに自己犠牲の精神は過ちである。
自分はもとより他人のためにもならないからだ。
自分がやりたくないと思っているならやり方を変えよう。双方がハッピーとなる方法があるはずだ。

幸せも不幸せも伝染する。

自分が不幸せでないということ、幸せであることを表現できるようにつとめていこう。そこに幸せはやってくる。

過去と他人は変えられる

過去と他人は変えられない。




よく言われる言葉ですが取り違えて理解している人はいませんかね。



過去と他人も変わります。

正しくは順番の問題なんです。

まず

過去を振り返ることからしない。

まず他人に何かを求めることからしない。

ということですね。


じゃぁどうすればいいか。



自分と未来は変えられる。

よい言葉ですね。


過去を振り返る前に今から何をするかを考えて行動しよう。
他人と自分が違うのは当たり前。他人に何かを求める前に自分の行動を変えていこう。



その結果
未来が変わることで振り返る過去も変わる。

(あの失敗があってそれをばねにがんばったから今があるんだなぁ・・など)

自分の行動が代わることでまわりにいる人も変えられる。


ということなんです。

何かに原因を求めるより、自分で行動し結論を変えてしまう。この考え方が大切なんです。

自分が変われば未来が変わる、未来が変わるといことは振り返ると他人も過去も変っているんです。

チャンスの入り口とチャンスの出口


チャンスはもらうものでなくて作るもの。
そしてチャンスをつかんだというのはチャンスの出口。


チャンスの出口にいくにはチャンスの入り口にはいるしかありません。

チャンスの出口だけを拾うことはできないのです。

だからチャンスの入り口から出口までの長いプロセスを日々繰り返すしかないのです。
チャンスの道を歩いているなら、チャンスをのがしたと思っても大丈夫。それは出口へのプロセスをちゃんとすすんでいる証拠なのだから。

あなたはチャンスの入り口にはいっていますか?
そしてチャンスの出口にちゃんとたどりつけるように日々、努力していますか?実行していますか? 出口にたどりついたときにちゃんと外にでられるように準備していますか?そしてそれがまた新しいチャンスへと繋がるんです。


秋元康さんのじーたす
僕がチャンスを作っているのではありません。
僕からのチャンスを待っている間はだめですね。
「私だって選抜に入れば…」
「私だってドラマに出れば…」
「私だってコマーシャルに出れば…」
それがチャンスだと思っているかもしれませんが、それは違います。

それは、チャンスの出口です。
みんなに見つけて欲しいのは、
チャンスの入り口です。

例えば、松井咲子
彼女のチャンスの入り口は、
音大に入ったことです。
趣味の域を越えているから、
代々木でコンサートをやった時、
ポニーテールとシュシュ」を
弾いてもらったのです。
「TEPPEN」にも繋がり、
ぐぐたすで、さらにブレイクした
ということです。

アルバムを出すのは、
チャンスの出口です。
このアルバムを名刺がわりに
どう進むか?です。

選抜も、コマーシャルも、番組も、
僕が一人で決めているわけではありません。
最終決定権は僕にありますが、
いろいろなスタッフの意見を聞きます。
そこに、もっと、いろいろな名前が出て欲しいんですよね。
つまり、松井咲子のような小さな努力や運が見えて来ないんです。

今の自分にできることを考えなさい。


「ポニーテールとシュシュ」のピアノ